設立から住友電気工業との
技術並びに資本提携
明治のなかころ、全国に電力会社が設立され、1897年には三重県四日市にも電力会社「四日市電燈株式会社」が誕生した。同社の社長であった九鬼紋七(八世)と四日市銀行の頭取であった伊藤小左衛門(七世)は「これからは電力の時代だ、大いに電線の需要が見込める」と考え、1917年2月、当社の前身である「東海電線製造所」を設立。同年12月に「東海電線株式会社」に改組設立し本格的に事業を開始。木綿被覆電線、いわゆる「東京線」を中心に製造した。さらに、反射炉・圧延設備の導入により、溶銅からの一貫生産を開始させるとともに、東京、大阪、福岡、小倉に販売拠点を開設して、事業を拡大させていった。
しかし、第一次世界大戦の終結による反動不況、関東大震災による混乱などによって当社の業績は悪化し、1931年には企業としての存続の危機を迎えた。
事態がひっ迫する中、四日市倉庫(現・日本トランスシティ)に仲介を依頼し、株式の過半数を住友電線(現・住友電工)側に譲渡。経営・販売を委託することなどを条件に、1931年10月に提携が成立した。当社は、営業と技術面の両方で住友電線からの指導を受けると同時に、原料銅の供給も受けることとなった。設立から14年目に、住友電線の傘下となり、新しいスタートを切った。
設立趣意書
設立当時の当社全景
東京線
溶銅設備
大阪出張所
住友電線